ブログを書こう、書くんだバリバリ書くんだと思い立って数ヶ月。
とりあえず書きたいこと書けそうなことをノートに手書きでどんどんメモっておりました。
最近は、別のノートを使いだしたので、1冊目のノートはお蔵入りっぽくなっていたのですが、さっき開いてみて驚いたよ。
「客死.com」と書き込んだ黄色い付箋が貼られていたんだよ。
なんだよ客死.comって。我ながら怖いわ。
コンテンツとして、一体どういうことを書くんだよ。
あ、なんか今ちょっと考えてみるわ。
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(ふうう。こんぐらにしといたるわ)
とにかく、「客死.com」を書いたときのわたしの頭の中には、客死のことがあったんだろうね。
実をいうと、昔から客死への憧れはあったのだ。
だからこそ、書きつけたのだろうね。
まず、子供の頃の「死」にまつわることでいえば、時代劇「大江戸捜査網」の冒頭で繰り返される例のフレーズ。
死して屍、拾う者なし
この言葉を聞くたびに、心がしびれた。
あと、なぜだかわからないけれど、子供の頃から親の死に目には会いたくないと思っていた。
別にそんなに仲が悪いわけじゃないし、逆に仲が良すぎるということでもないよ。
だから自分でも不思議なのだ。
親が死ぬときは、遠い異国に出かけていて、連絡を受けてから飛んで帰ったけど残念ながら間に合いませんでした。
というのが、そのときに考えていた理想のシチュエーションだ。
今みたいにバンバン海外旅行に行く前のことですよ。
「死して屍、拾う者なし」に憧れた子供時代から思春期の「親の死に目に会いたくない」。そして40代の今、「客死.com」である。
どうかしてる。本当にどうかしてるよ。
さらにいえば、客死した上で鳥葬されるのが第一希望である。
前に、年に1度しか合わない友人(フリーランス稼業)とフルーツパフェを食べながら死について語っていたとき、「どんな埋葬法がいい?」という話題になった。
そのとき、口からポロリと出てきたのが鳥葬なのだよね。
直感で答えたことこそが真の願望とするならば、そうなのだろう。
そんなわけで、どんなわけだか、客死。
わたくしがドメイン名として「客死.com」とメモっていたのは、自分としては別に驚くことでもなんでもなかったんだな。
結論:俺の屍はコンドルに拾ってほしい